八丈実記を書いた近藤富蔵の経歴・人生について

八丈島の流人 近藤富蔵
八丈島の流人 近藤富蔵
偉人の人生

近藤富蔵とは?

民俗学者の草分け

近藤富蔵とは、民俗学者の草分けとも言われる、全72巻の八丈実記を書いた方です。近藤富蔵の人生はとても変わったもので興味深く、また八丈実記は今でも大切に保管されている貴重な書物となっています。

八丈島について研究するのなら、まずは八丈実記を読んでからとも言われていますね。

近藤富蔵 書籍

近藤富蔵 書籍

殺人を犯したことにより人生が一変

近藤富蔵の人生は、殺人を犯したところから大きく変化していきます。そこには父との関係や恋をした女性との関係などが絡み、複雑なものでした。

その結果、最終的に八丈実記を書くことに繋がっていくことになります。誰も予想出来なかった人生を送った近藤富蔵の経歴を辿っていきましょう。

近藤富蔵の経歴・人生

父・重蔵の人生

近藤富蔵について書く上で、父・重蔵の人生に少しだけ触れる必要があります。重蔵は江戸の貧しい家に生まれるものの、神童と呼ばれるほどに頭が良く、身体も強い人でした。しかし、どんなに能力があっても家柄で評価される時代でしたので、重蔵はなんとか大きく活躍をしたいと蝦夷に行きます。

この蝦夷にて歴史に名を残すような活躍をした重蔵は江戸にまで名を広めており、奉行となります。しかし、後に左遷されてしまい、大阪へ飛ばされてしまいました。

近藤富蔵 絵

近藤富蔵 絵

近藤富蔵の幼少時代

重蔵は大阪へ飛ばされた後、左遷されたストレスから、屋敷に沢山の女性を招いて遊び、毎日宴会をしました。この時に出来た子供が、近藤富蔵です。

近藤富蔵は父と違って内向的で、勉強も出来ず、武芸も達者ではなかった為、父・重蔵からはいつも怒られてばかりでした。

近藤富蔵の恋の始まり

富蔵は16歳の時、父に連れられてきた大阪で少女に一目惚れをします。そして、相手の母親に娘を嫁に欲しいとお願いしたところ、立派な侍になったら嫁をくれると言われます。ここから近藤富蔵は、この少女をずっと想い続けることになりますが、内向的でシャイな富蔵は空回りばかりしてしまい、上手くアプローチ出来ないまま時間が過ぎます。

新富士と茶屋

父・重蔵は、金銭事情が悪化してきたことから商売を始めようと、高さ15mほどの山を作って「新富士」と名付けました。重蔵の住んでいた別邸は富士山が見える場所にあり、新富士の上に上ると富士山がよく見えたのです。

この新富士を作ったと同時に茶屋を始め、商売は大繫盛。大名まで見に来るほどでした。

新富士の絵

新富士の絵

一家殺人を犯す

大繫盛していたのは良かったのですが、隣で同じく茶屋をしていた半之助から、近藤の土地は自分のものだというおかしな主張をされるようになりました。そのうちゴロツキまで雇って嫌がらせをしてくるようになり、重蔵は富蔵に刀を渡します。それは、もしも乱暴してくるようなことがあれば殺してしまってもいいということでした。

そして、延々と続く嫌がらせに耐えかねた富蔵は半之助を含めた家族七人を皆殺しにします。この時、内向的で情けない自分が嫌で仕方がなかった富蔵は、人を殺せる勇気を持てたことに大変喜び、初恋の少女に喜びの手紙を送ったほどでした。

島流しで八丈島へ

家族7人を殺した罪で富蔵は牢屋に入れられ、その後島流しで八丈島まで飛ばされます。これを機に父とはもう再会することは出来なくなりました。

八丈島は当時、罪を犯した流人が沢山流されてきており、流人同士で助け合って生きていました。健康な人は力仕事をし、弱いものは草履を作るような生活です。

流人はそれまでに1800人ほど流されてきていたそうですが、その内800人は赦免(罪が許されること)されていたので、近藤富蔵も赦免に期待して過ごし始めます。

八丈島 画像

八丈島 画像

イツとの結婚

八丈島は女性の方が多く住んでいる島だったため、流されてきた流人が島の女性と関係を持つことはよくあることでした。そして、近藤富蔵もイツという女性と結婚することになり、息子・娘も授かります。

しかし、この頃になっても初恋の少女への想いは中々消えませんでした。

八丈実記の執筆

父から勉強させられていた近藤富蔵は、島の中で学問が出来る人間として重宝されだします。そして、島の役人は八丈島についての記録をとるよう紙と筆を与えました。

この時、ちょうど息子が亡くなってしまって空白状態となっていた近藤富蔵は、何か役立てることをしようと思い、記録を引き受けました。

近藤富蔵は八丈島のあらゆることを時間をかけて記録し、調べ、なんと八丈実記は全56巻にもなりました。この全56巻の八丈実記を見た役人はとても感心し、島にあった古文書まで見させて記録させ、最終的に全72巻の大著となります。

書き上げた八丈実記は、八丈島の歴史や政治、経済、宗教や教育など、ありとあらゆる情報が全て網羅された素晴らしいものになったのです。

八丈実記 浪人船

八丈実記 流人船

赦免され東京へ

その後、月日は流れて明治時代になり、多くの流人が赦免を受けて本土に帰っていきましたが、近藤富蔵だけは赦免の通知が来ませんでした。

しかし、明治11年にまだ赦免を受けていない流人がいること、その流人が素晴らしい書物を書いたことを知った役人が島へ来ました。八丈実記を見たところ、その素晴らしさに大変驚き、八丈実記を清書するよう命じます。

そして近藤富蔵は清書した八丈実記を東京府へ差し出すと同時に赦免を受け、本土に帰れることになったのです。この時、近藤富蔵は76歳でした。

因みに、役人に近藤富蔵の存在を知らせてくれたのは流人船の船頭でだったそうで、近藤富蔵は人の心の暖かさにうたれたそうです。

三十三ヶ所めぐり

近藤富蔵には娘がおり、その娘が結婚して東京に住んでいたので、東京でしばらくお世話になりました。しかし、長い間離れた江戸の街はすっかり近代化しており、近藤富蔵は驚くばかりだったそうです。

そうしてしばらく過ごす内に、近藤富蔵は父・重蔵の墓参りと、初恋の少女を探しにいきます。しかし、父・重蔵の墓参りは出来たのですが、初恋の少女は見つかりません。近藤富蔵は、少女はきっと亡くなってしまったのだろう、だったらせめてと思い、供養の為に西国三十三ヶ所めぐりをします。

八丈島に戻り死去

三十三ヶ所めぐりの中で沢山の人の優しさに触れた近藤富蔵でしたが、東京に戻ってきてからは喜びを感じられなくなり、八丈島に戻ることを考えます。

赦免を受けて八丈島を離れた人が八丈島にまた戻ってくることはほぼ無かったのですが、珍しく近藤富蔵は戻ったのです。

そして、近藤富蔵は八丈島に戻ってから穏やかに過ごし、83歳で亡くなりました。今でも近藤富蔵は知られており、亡くなったあとしばらくも「本当に良い人だった」と語られていたそうです。

因みに、近藤富蔵は八丈島に戻ったあと、「八丈島ほど良いところは他にはない」が口癖だったそうですね。八丈島はとても美しく穏やかな空気感のある島ですので、きっと幸せに余生を過ごせたことでしょう。

近藤富蔵の墓

近藤富蔵の墓

まとめ~近藤富蔵の人生~

今回の「八丈実記を書いた近藤富蔵の経歴・人生について」はいかがでしたでしょうか?

近藤富蔵の人生は一言で済ませられない、とても濃い人生でした。幼い頃の重圧、上手くいかない初恋、殺人、偉業達成と、中々経験しえないことを体験した近藤富蔵の人生。一生懸命に生きた近藤富蔵の姿から学ぶことは沢山ありますよね。