明治の実業家・玉置半右衛門の経歴・人生について

開拓王 玉置半右衛門とは
開拓王 玉置半右衛門とは
アホウドリの王

玉置半右衛門とは?

玉置半右衛門 画像

玉置半右衛門 画像

明治の実業家

玉置半右衛門は明治の実業家として知られた人物です。しかし、明治時代に実業家は沢山いました。その中で玉置半右衛門が知られているのは、玉置半右衛門が財を成す為に行ったことが特徴的だからであり、その事業内容は今でも有名です。

南方諸島の開発

玉置半右衛門と言えば南方諸島などの開発です。玉置半右衛門は島の開発の前に既に財を成していたのですが、ずっと島を開拓したいと想い続け、遂には実現させました。また、島を開拓するだけではなく、島を開拓することにより巨万の富を得たのも特徴的です。今回はそんな玉置半右衛門の経歴・人生について見ていきましょう!

南大東村の画像

南大東村の画像

玉置半右衛門の経歴・人生

大きな志を持った玉置半右衛門

玉置半右衛門は天保9年(1838)10月1日に、八丈島に生まれました。当時の八丈島は流人の地となっており、玉置半右衛門は流人の技術を吸収、大工として働き始めることになります。流人とは流罪(島に送る追放刑のこと)に処せられた罪人を指します。罪人達の技を覚えたところから人生が始まっていくのですね。この頃から既に、玉置半右衛門は大きな夢を描いていました。

江戸・横浜時代

安政3年(1856)、つまり玉置半右衛門がまだ10代の頃に江戸に出て商売を始めます。しかし失敗してしまい、二年間は横浜で大工仕事をしていた玉置半右衛門。この大工仕事時代に羽毛布団の存在を知ります。この羽毛布団を知ったことが玉置半右衛門の人生を大きく左右しました。

小笠原諸島開拓民の募集

1862年から始まった江戸幕府の「小笠原諸島開拓民の募集」。この募集に魅力を感じた玉置半右衛門でしたが開拓は中止されます。その後、今度は明治政府が小笠原諸島開拓民の募集をかけて玉置半右衛門は小笠原諸島に行きますが、役人との対立があり、二年で帰ってきてしまいます。

小笠原諸島で開拓民になることは玉置半右衛門にとって何か違っていたようですね。この時、玉置半右衛門は41歳となっており、帰ってきた時は無一文だったと言います。

回漕業で財を成す

小笠原諸島から帰ってきた玉置半右衛門は、生まれ育った八丈島と東京を結ぶ回漕業を行い財を成します。回漕業とは海上を通って荷物を運んだりする運送屋さんのことです。現在では回漕業という言葉はあまり使われませんが、この時代にはそのように言われていました。

無人島開拓で巨万の富を成す

回漕業で財を成すことが出来た玉置半右衛門でしたが、玉置半右衛門はずっと開拓の夢を持っていました。そこで鳥島という島に調査に出かけたところ、玉置半右衛門の人生を大きく変える「アホウドリ」を沢山見つけたのです。

玉置半右衛門は許可をとり、このアホウドリをどんどん捕獲し羽毛を採取しました。その数、なんと500万羽。羽根は羽毛にされ、肉は缶詰、骨は肥料に替え、アホウドリを使った事業で成功者となります。

南大東島の開拓

アホウドリ事業で成功した玉置半右衛門ですが、60歳になった頃、沖縄から少し離れた無人島「南大東島」に着目し、開拓を始めました。ここで沢山の入植者を雇い、サトウキビの栽培をし、病院や学校、防風林などを作って整備していきます。

下記画像は南大東島の開拓100周年記念碑です。南大東島が今あるきっかけを作ったのが、実は玉置半右衛門の行動によるものだったのですね。

南大東島開拓記念碑

南大東島開拓記念碑

大噴火と復興

南大東島の開拓を行った後、アホウドリの島であった鳥島に大噴火が起こります。この大噴火により、アホウドリの捕獲を行っていた島民125人が全員死亡。当時は「アホウドリの祟り」などと言われたそうです。

玉置半右衛門は鳥島の復興にあたろうとしますが、この時既に玉置半右衛門は老齢となっていたため上手く復興させられなかったようですね。

玉置半右衛門の死後

玉置半右衛門は復興調査に奮闘しましたが、過労から肝臓病になってしまい、1910年、73歳で亡くなります。玉置半右衛門の息子達は玉置から与えられた力により放蕩に明け暮れ、遺産相続の争いなども起きてしまい、玉置半右衛門が率いた玉置商会の経営は傾きました。

最終的に、開拓した南大東島は東洋精糖という精糖会社に売却され、玉置半右衛門の挑戦は幕を閉じたのです。

玉置半右衛門の銅像

玉置半右衛門の銅像

玉置半右衛門の豆知識

玉置半右衛門は大きな夢を描いて努力してきた人物ですが、実は現代の人はあまり玉置半右衛門を良く思っていない場合もあります。それは、玉置半右衛門の行ったことが「ブラック企業のようだ」と言われているからです。

南大東島の開拓にあたって島民を募集した玉置半右衛門でしたが、下記画像のような「南大東島でのみ使えるお金」を作ったり、身分制度があったり、入ったら中々出られないシステムになっていたことが問題だったようです。

しかし、玉置半右衛門の命日である11月1日になると、北大東島村では玉置半右衛門の開拓精神と道徳をしのんだお祭りが行われています。表面的にはブラック企業の様相を成していたかもしれませんが、現地で働く人達がどう感じていたのかはまた別のお話しなのかもしれませんね。

玉置商会等のお金

玉置商会等のお金

まとめ~玉置半右衛門の人生~

今回の「明治の実業家・玉置半右衛門の経歴・人生について」はいかがでしたでしょうか?

罪人の住む島から人生が始まり、最後は明治の実業家となった玉置半右衛門。生まれがどのようなものでも、人生も開拓出来ることを感じるストーリーなのではないでしょうか。ブラック企業を作ったアホウドリ王などと揶揄されることもある玉置半右衛門ですが、玉置半右衛門に学べることは沢山あります。何かに行き詰った時、玉置半右衛門のチャレンジ精神を思い出してみましょう!